鶴橋風月の歴史
創業70余年「鶴橋風月」は、大阪食文化の象徴になっている「お好み焼き」の変わらぬ味を守り続けています。
味を守り続ける“心の約束が原点”
第二次世界大戦直後、バラック小屋が所狭しと並び、ノスタルジックな雰囲気をかもしだす街「大阪鶴橋」。 肩を寄せ合いながら生きぬく貧しい人々は闇市に群がった。「お腹いっぱいにしたい!」そこに生まれたのがお好み焼き。 そんな時代の中で、夫婦二人で始めた狭い路地でのお好み焼き屋。それが「鶴橋風月」の前身、「風月」だ。
人情の街・大阪の大繁盛店「風月」
“安い”だけでも人は群がったが、これに“美味しい”が加わり、小さな店はたちまち大繁盛店となった。その土地で生まれた人間ならば「風月」を知らないものはなかった。親に連れられてこの店に行くのが、子供にとって楽しみであり、最高のご馳走であったという。顔なじみになれば「おかえり!」と声をかけられ、家にまっすぐ帰らず店によることが日課だった子どもが大勢いた。
温和なおじいちゃんと太っ腹なおばあちゃんの二人が、みんなに満腹になってもらおうと毎日店を開けて美味しいお好み焼きを食べさせてくれた。人情の街・大阪にあって、客が引きも切らずに来ていたこの店には、人を惹きつける味があった。その味は昔も今も変わっていない。
70余年を経過した現在も、その店と味を託された男がその味を伝えている。一人の男が受け継ぎ、そこで働く従業員が支え続け、全国でおばあちゃんの味を守り抜いている。
少年の頃から、ずっと通い続けてきた店・・・「鶴橋風月」。当時少年だった男が、大好きなおばあちゃんの味を今も頑なに守り続けている。
…味は絶対に変えない……「おばあちゃんとの約束ですからね」
老舗の看板を受け継いだ宿命
「兄ちゃん、ちょっと話があるんやけど」…
鶴橋で育ち、他の客同様「風月」(鶴橋風月の当時の店名)の常連客だった五影隆則(現 代表取締役)に声がかかったのは1989年 (平成元年)だった。
味を変えずに、一人でも多くの方へ
店のおばあちゃんは、「商売」というより「みんなにうちのお好み焼きを食べてほしかった」のだろう。受け継いだ以上はおばあちゃんの味を守り抜く“心の約束”は貫くが、もっともっと多くの人にこの味を感じてほしい、と強く思った。それから、「味を変えず」に「一人でも多くの方へ」を合い言葉に「お好み焼き 鶴橋風月」の商売が始まった。
【お好み焼き繁盛店「鶴橋風月」成功のキーワード100 より抜粋】